伊香保 観光なら竹久夢二記念館(大正ロマンの森)|公益財団法人 竹久夢二伊香保記念館

伊香保 観光なら竹久夢二記念館(大正ロマンの森)|公益財団法人 竹久夢二伊香保記念館

〒377-0102 群馬県渋川市伊香保町544-119

TEL0279-72-4788

開館時間 9:00~17:00(年中無休)
※メンテナンス等による臨時休館あり

採用情報サイトマップ
border

竹久夢二記念館(大正ロマンの森)TOP  竹久夢二とは

竹久夢二とは

竹久夢二とは

竹久夢二とは

明治17年9月16日、岡山県に生まれる。明治38年、22歳の時、『中学世界』にコマ絵「筒井筒」が一等入選。以来、美人画で一世を風靡した「大正ロマン」を代表する画家。

明治44年伊香保に住む少女からのファンレターにより伊香保を知り、その後、大正8年に初めて伊香保榛名の地を訪れる。以来、伊香保の気候・風土・人情に心を寄せ、度々訪問。

晩年には「榛名山美術研究所」建設という大きな構想を抱くが、志半ばで病に倒れ、昭和9年信州富士見高原療養所にて永眠。数え51歳。

代表作は「黒船屋」「五月之朝」「青山河」など。絵画・挿絵のほか、千代紙・浴衣・書籍の装丁などのデザインや詩、俳句など幅広いジャンルで活躍。

竹久夢二の軌跡(略年譜 ※年齢は数え年)

明治

明治17年(1884)

1才

9月16日岡山県に生まれる。本名は茂次郎。家業は酒屋。

明治35年(1902)

19才

早稲田実業学校に入学。

明治38年(1905)

22才

早稲田実業専攻科に進学。4か月で中退。月刊誌「中学世界」の懸賞に応募し、コマ絵「筒井筒」が一等に入選。初めて「夢二」の画号を使う。

明治40年(1907)

24才

岸たまきと結婚。2年後に離婚。

明治41年(1908)

25才

水彩画「こわれた水車小屋」を携えて、画壇の大家岡田三郎助を訪れ、助言を受ける。

明治42年(1909)

26才

最初の著書『夢二画集 春の巻』刊行。

明治44年(1911)

28才

松沢ミドリ氏(伊香保在住であった故加藤ミドリ氏)の手紙により、伊香保を知る。

大正

大正元年(1912)

29才

「第一回夢二作品展覧会」開催、京都府立図書館。話題を呼ぶ。

大正3年 (1914)

31才

日本橋区呉服町に「港屋絵草紙店」開店。

大正6年 (1917)

34才

「港屋絵草紙店」で大正3年に出会った女性笠井彦乃と京都に住む。1年余り一緒に生活をした後、大正9年に彦乃と死別。

大正7年 (1918)

35才

「第二回竹久夢二抒情画展覧会」開催、京都府立図書館。 東京に戻り、住む。多忠亮作曲「宵待草」(セノオ楽譜)出版。

大正8年 (1919)

36才

「黒船屋」制作。モデルのお葉(本名佐々木カ子ヨ)を伴い、初めて伊香保を訪れる。

大正12年(1923)

40才

恩地孝四郎らと「どんたく図案社」を企画。デザインの事業化を目指すが関東大震災によって潰滅。

大正13年(1924)

41才

世田谷区松原に住居「少年山荘」建築。

昭和

昭和5年 (1930)

47才

生活と芸術を結ぶ運動「榛名山美術研究所」の宣言文を発表。年末、榛名湖畔にアトリエ完成。入居して年を越す。

昭和6年 (1931)

48才

アメリカ、ヨーロッパへ渡り各地を訪れる。

昭和8年 (1933)

50才

帰国。引き続いて台湾へ赴く。帰国後、病気が悪化し病臥。

昭和9年 (1934)

51才

9月1日 信州富士見高原療養所にて永眠。

竹久夢二と伊香保のつながり

伊香保の少女からの手紙

夢二がはじめて伊香保を知ったのは、明治44年、この地に住む少女、加藤ミドリさん(当時12歳)から届いた手紙によります。

当時、夢二は新進気鋭の挿絵画家で、夢二画集「春の巻」を皮切りに、数冊の画集を出版するなど、全国にその名がとどろいていました。ですからおそらく、夢二のもとには毎日沢山のファンレターが届けられていたことと思います。そんな中でも夢二はミドリさんに丁寧な返事(記念館蔵)を書いています。


加藤ミドリさんへの手紙 加藤ミドリさんへの手紙

加藤ミドリさんへの手紙(上:記念館蔵 下:訳)

思いがけない夢二からの心優しい返事に、ミドリさんはどれほど感動したことでしょう・・・。
また、手紙に「イカホとやら」と書かれていますから、その時まで夢二が伊香保を知らなかったことが分かります。夢二と伊香保を結んだこの貴重な「往復書簡」は、夢二記念館にて常設展示されています。

最愛の恋人彦乃 〜「山」と「河」の物語〜

大正3年10月、夢二は12才年下の彦乃と運命的に出会い、人目を忍ぶ恋路…。2人は、互いを「山(彦乃)」、「河(夢二)」と呼び合う秘密の暗号で手紙を交わしました。

青山河(昭和7年)

青山河(昭和7年)

しかし幸せな時は長くは続かず、大正7年の暮れ、結核に侵された彦乃は夢二のもとから引き離され入院。その翌年、傷心を絵筆に託し描かれたのが、夢二の最高傑作といわれる『黒船屋』(記念館蔵)です。『黒船屋』が完成した翌年(大正9年)、彦乃は25歳で夭逝。生涯、夢二の心に残る女性となりました。

『黒船屋』を描いた大正8年、夢二は初めて伊香保を訪れます。以来、この地を度々訪れるようになりました。
なぜ夢二は、伊香保・榛名をそれほどまでに愛したのでしょう・・・。

上毛三山(榛名山・赤城山・妙義山)の中で、最も女性的な優しさを持つ榛名山。四季折々に美しく変化する雄大な榛名の山並みは、夢二の心を包み、その稜線に夢二は「山」と呼んだ彦乃の面影を重ねていたのかもしれません。


border