伊香保 観光なら竹久夢二記念館(大正ロマンの森)|公益財団法人 竹久夢二伊香保記念館
〒377-0102 群馬県渋川市伊香保町544-119 開館時間 9:00~17:00(年中無休) |
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明治17年9月16日、岡山県に生まれる。明治38年、22歳の時、『中学世界』にコマ絵「筒井筒」が一等入選。以来、美人画で一世を風靡した「大正ロマン」を代表する画家。
明治44年伊香保に住む少女からのファンレターにより伊香保を知り、その後、大正8年に初めて伊香保榛名の地を訪れる。以来、伊香保の気候・風土・人情に心を寄せ、度々訪問。
晩年には「榛名山美術研究所」建設という大きな構想を抱くが、志半ばで病に倒れ、昭和9年信州富士見高原療養所にて永眠。数え51歳。
代表作は「黒船屋」「五月之朝」「青山河」など。絵画・挿絵のほか、千代紙・浴衣・書籍の装丁などのデザインや詩、俳句など幅広いジャンルで活躍。
明治17年(1884) |
1才 |
9月16日岡山県に生まれる。本名は茂次郎。家業は酒屋。 |
明治35年(1902) |
19才 |
早稲田実業学校に入学。 |
明治38年(1905) |
22才 |
早稲田実業専攻科に進学。4か月で中退。月刊誌「中学世界」の懸賞に応募し、コマ絵「筒井筒」が一等に入選。初めて「夢二」の画号を使う。 |
明治40年(1907) |
24才 |
岸たまきと結婚。2年後に離婚。 |
明治41年(1908) |
25才 |
水彩画「こわれた水車小屋」を携えて、画壇の大家岡田三郎助を訪れ、助言を受ける。 |
明治42年(1909) |
26才 |
最初の著書『夢二画集 春の巻』刊行。 |
明治44年(1911) |
28才 |
松沢ミドリ氏(伊香保在住であった故加藤ミドリ氏)の手紙により、伊香保を知る。 |
大正元年(1912) |
29才 |
「第一回夢二作品展覧会」開催、京都府立図書館。話題を呼ぶ。 |
大正3年 (1914) |
31才 |
日本橋区呉服町に「港屋絵草紙店」開店。 |
大正6年 (1917) |
34才 |
「港屋絵草紙店」で大正3年に出会った女性笠井彦乃と京都に住む。1年余り一緒に生活をした後、大正9年に彦乃と死別。 |
大正7年 (1918) |
35才 |
「第二回竹久夢二抒情画展覧会」開催、京都府立図書館。 東京に戻り、住む。多忠亮作曲「宵待草」(セノオ楽譜)出版。 |
大正8年 (1919) |
36才 |
「黒船屋」制作。モデルのお葉(本名佐々木カ子ヨ)を伴い、初めて伊香保を訪れる。 |
大正12年(1923) |
40才 |
恩地孝四郎らと「どんたく図案社」を企画。デザインの事業化を目指すが関東大震災によって潰滅。 |
大正13年(1924) |
41才 |
世田谷区松原に住居「少年山荘」建築。 |
昭和5年 (1930) |
47才 |
生活と芸術を結ぶ運動「榛名山美術研究所」の宣言文を発表。年末、榛名湖畔にアトリエ完成。入居して年を越す。 |
昭和6年 (1931) |
48才 |
アメリカ、ヨーロッパへ渡り各地を訪れる。 |
昭和8年 (1933) |
50才 |
帰国。引き続いて台湾へ赴く。帰国後、病気が悪化し病臥。 |
昭和9年 (1934) |
51才 |
9月1日 信州富士見高原療養所にて永眠。 |
夢二がはじめて伊香保を知ったのは、明治44年、この地に住む少女、加藤ミドリさん(当時12歳)から届いた手紙によります。
当時、夢二は新進気鋭の挿絵画家で、夢二画集「春の巻」を皮切りに、数冊の画集を出版するなど、全国にその名がとどろいていました。ですからおそらく、夢二のもとには毎日沢山のファンレターが届けられていたことと思います。そんな中でも夢二はミドリさんに丁寧な返事(記念館蔵)を書いています。
思いがけない夢二からの心優しい返事に、ミドリさんはどれほど感動したことでしょう・・・。
また、手紙に「イカホとやら」と書かれていますから、その時まで夢二が伊香保を知らなかったことが分かります。夢二と伊香保を結んだこの貴重な「往復書簡」は、夢二記念館にて常設展示されています。
大正3年10月、夢二は12才年下の彦乃と運命的に出会い、人目を忍ぶ恋路…。2人は、互いを「山(彦乃)」、「河(夢二)」と呼び合う秘密の暗号で手紙を交わしました。
青山河(昭和7年)
しかし幸せな時は長くは続かず、大正7年の暮れ、結核に侵された彦乃は夢二のもとから引き離され入院。その翌年、傷心を絵筆に託し描かれたのが、夢二の最高傑作といわれる『黒船屋』(記念館蔵)です。『黒船屋』が完成した翌年(大正9年)、彦乃は25歳で夭逝。生涯、夢二の心に残る女性となりました。
『黒船屋』を描いた大正8年、夢二は初めて伊香保を訪れます。以来、この地を度々訪れるようになりました。
なぜ夢二は、伊香保・榛名をそれほどまでに愛したのでしょう・・・。
上毛三山(榛名山・赤城山・妙義山)の中で、最も女性的な優しさを持つ榛名山。四季折々に美しく変化する雄大な榛名の山並みは、夢二の心を包み、その稜線に夢二は「山」と呼んだ彦乃の面影を重ねていたのかもしれません。